不動産の由来、歴史や動産との違い | 実際に家を売る時困った3つの事

By | 2014/01/04

「不動産」という言葉の由来はどこからきたのでしょうか。

不動産という言葉は明治時代初期に使われたのが最初だそうですが、3つの説があります。

1・フランス民法を直訳した際に出来た言葉

2・オランダ語を直訳した時に使われた

3・ラテン語を直訳した時に使われた

日本の民法がフランスやドイツに強い影響を受けて制定された事から、1か2の説が有力だそうです。

ちなみに不動産の事をフランス語ではlmmobiliers、ドイツ語ではlmmobilien言い、どちらも動かない物、不動の物という意味合いだそうです。

動産と不動産の違い

民法で動産も不動産も財産になりうるものを指します。そして、不動産は土地や木、土地の上に建っている建物(屋根や壁付き)の事をさして、簡単には動かない財産の事を指すようになりました。

動産はそれ以外の財産で、お金や株券、更には各種商品券等も動産にあたります。

 

不動産の歴史

では、この「不動産」という言葉が生まれたもっと前、聖徳太子の時代にさかのぼってみたいと思います。

不動産の歴史聖徳太子聖徳太子の時代は、土地は勢力図そのものだったようです。ここからあそこまでは◯◯さんが治めている土地だと。そして、その土地を治めているものはその土地に暮らすものに農産物を生産させ、地域を活性化させました。

しかし、農民の暮しはどんどん苦しくなっていき、課せられた重税や労働に耐え切れず土地を捨て逃亡するものが増えていきました。この事が統治する者の勢力に大きな影響を与えていきます。人がいなくなった田畑は荒れ、収穫高はどんどんと減っていきました。

この問題を大きくとらえた国は723年“三世一身法”を定め「開墾した土地について期間を定めて私有すること」を認めました。そして743年“墾田永年私財法”にて『開墾した土地の永続的な私有』を認めました。

ここから私有地という考え方が広まっていき、私有地の拡大を目指す様になります。

そしてこの頃から私有地を「管理する者」の存在が現れます。管理する者は開墾・耕作・収穫などを総合的に監督する立場であったと言われています。

鎌倉時代になると、土地をめぐって大きな争いが頻発するようになります。その影響は全国的に広がり、戦乱の世となっていきます。この頃には私有地は流動的なものと変わりつつありました。

土地の歴史徳川家康1603年徳川家康が封建国家を打ち立ててから、不動産の歴史に大きな変化が表れます。現代の不動産業の前身が誕生しました。土地は武家や寺社が8割所有し、庶民派2割程でした。しかし人口比率は武家寺社と庶民は同等だった為に庶民派狭い土地で密集して暮らす事となります。そこで長屋(貸家)の存在が出来、商人は豊富な資金を元に長屋を運営していきました。

元々土地は幕府の所有だった為、売買は禁止されていましたが、町人(商人)の土地は証文により取引が行われていた為売買が成立しました。

時代は1867年明治政府が誕生します。

国家の体制を整える為に新制度が次々と発表されました。

その一つに「地租改正」がありました。土地の価値に見合った税を所有者から金銭で収めさせる制度です。今までは収穫高に見合った税を収めていたのに対し、地価に対しての税金に変わりました。そして、納税者は「耕作者」ではなく「土地の所有者」となりました。この事から土地の取引が頻繁に行われる様になり、土地を担保とした賃借も法的に認められました。現在の土地台帳が実際の地形と違うのは、この当時の地券台帳をもとに作成されているからだと言われています。

まとめ

今回調べてみてわかった事は聖徳太子の時代には土地は「縄張り」だったのに対し、徐々に土地は「国を治める為の手段」として変わっている事が興味深かったです。

国を治める者が耕作者の事を無視した重税や重労働を強いると土地が荒れ国も荒れる。土地に根付かせて、自分の土地として可愛がる事により、国が栄える。しかし、土地が力を持ってくると争いが起こる。土地を所有している力を持つものからは、税金を納める法律が出来る。今もどんどん時代は進んでいるのですね。近年は不動産の法律もめまぐるしく変わっています。100年後の不動産業界はどんな様子になっているんでしょうね。怖いのであんまり考えたくないですね。

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